さっきまで話をしてたのに、突然彼がいなくなっちゃった。 その2  家庭科の成績は決して悪くはない。高校に入ってから手芸部に入った分、そっち方面はもっと成績が 良くなる予定だった。調理の方も、レシピを見ながらならそこそこのものを作れると思ってた。 だからさっきも何の気なしに「これからわたしが料理作った方がいいの?」なんて訊いたんだけど……。 「ウソ。なにこれ」  キッチンと思われる扉を開けたわたしは、その先にある光景を見て愕然とした。  電子レンジやオーブントースターが無いのは、覚悟していた。世界観からして無いだろうって。 もちろん炊飯器もないだろう。けど。 「コンロはどこ?」  ガスや電気じゃないにしても、コンロになるものはあるはずだよね? 「それ以前に、水道とかシンクはどこにあるの?」  結局わたしはキッチンに一歩も入ることなく振り返り、クロモに助けを求めるしかなかった。  わたしの情けない顔がよっぽど面白かったんだろう。クロモはしばらくの間クスクスと笑い続けていた。 「そんなに笑うことないじゃん。そりゃ、異世界だから多少の違いはあるだろうって思ってたけど、 まさかこんなに違うとは思ってなかったんだもん」  ぷうっと頬を膨らませながら言うわたしに、クロモはまだクスクス笑ってる。 「いや、調度良かった」  短く告げるクロモに、わたしは首を傾げる。 「調度良かったって、なにが? お茶のひとつも入れられないなんて不便で仕方ないんだけど」  言いながらお茶を一口飲む。このお茶は結局クロモが入れてくれたものだ。  拗ねたようにちょっと睨んでみせると、クロモは微笑みながら答えてくれた。 「姫も、自ら湯を沸かした事なんてないだろう。無理な芝居をせずに済む」 「ああ、確かに。急なお客様の時にお姫様が手慣れた様子でお茶を出したら、不自然に思われちゃうかも しれないもんね」  女子力の低い、何も出来ない女の子みたいで嫌だけど、仕方ない。いつまでもすねたフリしてても 意味がないから、わたしはふうっと大きく息を吐いて気分を切り替えた。  食事の後のお茶も飲み終わり、クロモがスッと席を立った。 「君の使う寝室だが、先程の部屋で良いか?」  ほんの少し迷うような素振りを見せながらクロモが言う。 「え、うん。どこでもいいけど……」  ここまで言って、ひとつの可能性に気づいた。 「クロモはどこで寝るの? まさか……」 「俺の部屋は隣だ」  慌てたわたしの様子がうつったように、クロモも慌てて言う。その内容につい、ホッと息をついて しまった。 「だよね。あくまでフリだもんね。その、そういう事までは、しなくていいんだよね?」  恥ずかしいけど、一応きちんと確認しとかなくちゃ。  赤くなってるわたしを見て、クロモも恥ずかしそうにうつむいた。 「それは、ない。そこまで望まない」  キッパリ言ってくれて安心する。 「だよね。ゴメン、変な事訊いちゃって。あ、じゃあわたし、悪いけど先に休ませてもらうね」  立ち上がり、さっきの部屋に行こうとしたらクロモに呼び止められた。 「君の荷物だが、人目につかない場所に隠しておいてくれ」 「あ、そうだよね。服とかこの世界の物とは違うから不審に思われちゃうよね」  スニーカーがいい例だ。クロモがなんとか誤魔化してはくれたけど、あれは苦しい言い訳だったと思う。 「分かった。どこかパッと見分からない場所に隠しとくよ。それじゃあ、お休みなさい」 「ああ、お休み」  挨拶をして、寝室に向かう。荷物を先に取ってきたほうが良いかなーと思いつつ、色々あって 疲れてたせいか足は直接寝室の方へと向かってた。  扉を開けベッドに目をやると、いつの間に持ってきてくれてたんだろう、ちゃんと服も鞄もベッドの 上に置いてあった。  そして、ブラジャーも。 「なななな、なんでっ」  服の下に隠しておいたはずのそれは、運ぶ時にそうしたのか、服の上に置かれていた。  一気にカァッと顔が熱くなる。ドアを閉めるのも忘れて慌てて部屋に飛び込み、ブラを服の下に隠す。 「言い忘れていた。着替えや寝間着だが……」 「はいい〜っ!」  こんなタイミングで声をかけられて、声が裏返らないハズがない。 「? なにかあったのか?」  クロモが、不思議そうに言いながら部屋の中へと入ってくる。  もっと親しい間柄なら「なに勝手に乙女の下着触ってんのよバカーっ」て言えるけど、今日知り合った ばかりのクロモにそれを言う勇気はなかった。 「なな、なんにもないよ。急に声かけられたからびっくりしちゃっただけ。それよりなんだっけ。 着替え?」 「……ああ。姫の着替えがそこに入ってるから、使うといい」  顔が赤いわたしを不審そうな目で見ながらもクロモはそう言ってくれる。 「あ、うん。ありがと。……でも、お姫様の物勝手につかっちゃってもいいのかな。まあ自分の着替えが ないから助かるっちゃ助かるけど。あとで怒られたりとか、しないよね?」  平静を取り戻しつつ、尋ねる。たぶんクロモはあれが女性用の下着だって事を知らないんじゃ ないだろうか。だからあんな風に無造作にベッドの上に置いたんだきっと。……この世界にブラが あるのかどうかさえ、怪しいし。  わたしの質問に、クロモはふっと笑ったような気がした。 「心配ない。オレは君が姫だと思ってるし、君は記憶を無くしてオレから姫だと言われているんだ。 姫の物を使わない方が不自然だ」 「なるほど。それもそうか。そういう設定なんだから使った方がいいよね」  納得しながら示された衣装箱らしい箱を開いてみる。 「うわ。さすがお姫様。高級そうな服が入ってる。……ありがたく使わさせてもらうね」  これはクロモにというより、お姫様に言ったお礼。 「ああ。では今度こそ、お休み」 「うん、おやすみなさい」  そうしてその日の長い一日は終わった。

前のページへ 一覧へ 次のページへ


inserted by FC2 system