さっきまで話をしてたのに、突然彼がいなくなっちゃった。 その3  昨夜の事を思い出しつつ、うんと背伸びをする。カーテンを開け窓の外を見るとお日様がずいぶんと 高い位置にある。 「ありゃ。寝過ごしちゃった? ……昨日は疲れちゃってたもんなぁ……」  クロモが部屋を出た後、お姫様の衣装箱の中を見てもパジャマが見あたらず、かといってまたクロモを 呼ぶのも申し訳なかったんで着て寝苦しくなさそうなものを選んで寝た。実際特に変な所に凝りが 出たりしなかったからこれが正解なのかもしれない。 「とりあえず、着替えなきゃ。……えーっと、どれを着たらいいんだろう」  衣装箱からドレスを引っ張り出し、並べてみる。  するとドアからノックの音が聞こえた。 「起きたのか?」  ドアの外から、クロモの声。 「うん。おはよう。ちょうど良かった。入ってきて」  お姫様が普段どんな格好をしてるもんなのか分かんなかったから、クロモに選んでもらおうと思って 声をかける。 「ん? ああ」  ガチャリとドアを開けわたしの方を見たクロモは、何故かその場で固まって部屋の中に入って来ようと しない。だけどわたしは気にせずベッドの上に並べたドレスを見ながら声をかけた。 「ねぇねぇ。どの服が良いかな。もしこの中に普段は着ない服とかあったら教えてくれる? この世界の 正装とか喪服とかわたし分かんないからさ。あんまり変なもの着てたら他の人に怪しまれちゃうじゃん?  あ、そうだ。昨日これ着て寝たんだけど、これパジャマ……とは言わないかもだけど、寝る時着る服で 合ってるのかな?」  くるりとクロモの方を向き、ピラリと服の裾を持ち上げてみる。するとクロモは慌てて部屋の外に 出て扉をバタンと閉めてしまった。 「? クロモ? どうしたの?」  不思議に思いながら声をかけると、扉は閉めたまま返事が返ってきた。 「それが寝間着で間違ってはいない。正装用の衣装は別の衣装箱のはずだから今出している物のどれを 着ても構わない」 「そっか。分かった。ありがと。じゃあどれにしようかな。あ、ちょっと待っててね、すぐに着替える から」  クロモがなんで出て行ってしまったのか分からないままだったけれど、それより目の前の衣装に 目移りして、その事は頭からすっぽりと抜け落ちた。 「……食堂にいる」  その言葉だけ残して、クロモはそこから立ち去ったようだった。 「うん、分かった。着替えてからすぐ行くね。けどどれにしよう。色々あって迷っちゃうなぁ。 そういえばこの部屋って鏡あったっけ? えーっと……見あたらないなぁ。まーいっか。えーっと それで……」  クロモが行ってしまってた事はなんとなく分かってたけど、独り言をぶつぶつ言いながら服を選ぶ。 「これ……は、ちょっと胸が開きすぎて恥ずかしいかも。こっちは、ちょっと色が派手かなぁ。あ、 これ。いいかも!」  一枚のドレスを選び、にんまりと笑う。これなら着ても恥ずかしくないし、わたしの好みともそう 離れてない。 「じゃあ、早速着替えよう」  そうしてわたしは着替えを済ませて食堂へと向かった。  選んだのは綺麗な淡い水色の、胸元がそんなに開いていないドレス。デザインもシンプルでスカート丈 さえロングでなければワンピースとしか思えない。  なもんで、今日はしっかりブラを身につけた。のは、いいんだけど。 「ひとつ、言っていいか」  朝食の用意をしていたクロモが、わたしが来たのを確認すると椅子に座るように促し、自分も椅子に 座った。 「うん、なに?」  なんとなく不機嫌そうなクロモ。どうしたんだろう。 「君の世界ではどうだったか知らないが、ここでは普通、女性は夫以外に寝間着姿を見せたり、ましてや 足を見せたりはしない。……もちろん君にはその、俺の嫁のフリをしてもらうんだが……実際に夫婦に なるわけではないのだから……そんな格好を見せない方が良い」  言いにくそうに告げるクロモの顔をよく見ると、赤くなっている。 「えーと。つまり、着替える前にドアを開けちゃったのがマズかったってコト? そういえばドレスは みんなスカート丈くるぶしまであるけど、あれはヒザくらいまでだっけ。……けど昨日着てたドレスに 比べたらあの寝間着の方が胸元開いてなかったし、恥ずかしくなかったんだけど……」  さっきピラッと裾を持ち上げた時、ちょっとヒザ上まで見えたかもしれない。だけどそれでも見えて ヒザ上十センチくらいで、そのくらいのミニは普通にはいていた。  だけどクロモの顔を見る限り、本当にこの世界ではそんなに足を見せるのは恥ずかしい事なんだろう。 「そっか。分かった、気をつける。足は出しちゃいけないのね。郷に入っては郷に従え。お姫様の フリもしなきゃだしね」  わたしが告げるとクロモは安心したように微笑んだ。  朝食が始まると、やっぱりクロモは静かに黙って食べていた。最初はわたしもそれに倣って黙ってたん だけど、だんだん沈黙に耐えられなくなって、口を開く。 「訊いてもいい? 食事中に喋るのってもしかしてこの世界ではマナー違反? わたしのいた世界でも さ、国とか時代によってはマナー違反だったりしたんだけど、わたしの住んでた所は大丈夫だったから いつも喋ってたんだよね。だからついいつもみたいに喋っちゃってたんだけど、黙ってたほうがいいの かな?」  わたしの質問にクロモは首を横に振る。昨日の夜「頷いたり首振ったりの返事でいいよ」って 言ったのを覚えててくれたみたい。 「良かった。昨日も言ったかもしれないけど、わたしって基本お喋りなのね。黙ってろって言われたら 出来ないことはないんだけど、静かだとなんだかだんだん気まずくなるっていうかさ。だからつい、 何か喋っちゃうんだよね。けどそれにしても喋りすぎって友達からは言われちゃうんだけど。だから うるさい時には遠慮なくそう言ってね」  クロモが答えてくれたのと、マナー違反じゃないってのが分かって嬉しくて、ついニコニコペラペラ 喋ってしまう。するとクロモが匙を置き、ゆっくりと口を開いた。 「二人の時に喋るのはかまわない。が、姫はショックで口がきけない事になっている」 「あ、うん。そうだね。そうだった。大丈夫だよ、他人がいる時は気をつけるから。あ、でも不意打ちで 来られたら困るのか。お姫様もお喋りな人だったんなら『記憶は戻ってないけど口は利けるように なりました。そしたらこんな喋る子でした』で済むけど。クロモもお姫様の性格知らないんじゃ、 どうしようもないよね」  だけどわたしのお喋り具合を昨日から見ているクロモは心配なのか、ポツリと呟く。 「来客があるとあらかじめ分かっている時は、魔法をかけよう」  その言葉にわたしは首を傾げる。 「魔法って、昨日の『声が出なくなる魔法』? まあ、最初からそういう魔法かけるって分かってたら 変な病気かもって心配しなくていいからいいけど。あ、でもいつまでも口が利けないって設定はナシに してね。ショックを受けて口がきけなくなった人がどのくらいの期間喋れないものなのかは知らない けど、たぶん個人差あるよね。だったら早めに喋れるようになるって設定にしてほしいな。急な お客さんの時にわたしが喋ってるのを聞かれないとも限らないしさ」  クロモに協力はするけど、自分の主張もちゃんとしとかなきゃ。  わたしの意見を聞いてじっと考えていたクロモはやがて顔をあげて言った。 「カタコトで喋れるようになるのに六日、完全に喋れるようになるのに十五日。このくらいでどうだ?」  それがたぶん、クロモの考える最短の日数なんだろう。 「五日間は全く喋れないフリをしなくちゃイケナイのか……。その間、人が来ないことを祈っとこう。 黙っとけないワケじゃないんだけど、うっかりって事もあるもんね」  わたしがその日数を受け入れたのを確認すると、クロモは食事を再開した。

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