初夜を迎えようとしています。  あっという間に婚礼の日を迎え、そして初夜を迎えようとしています。  訳の分からないまま、わたくしは伯爵様の館へと迎え入れられ、そして今、夫婦の 寝室へと導かれました。  本当に訳が分かりません。男爵である父が、わたくしを妻にどうかと勧めたのは 分かります。貴族の娘はとかく、自分と同等かそれより上の身分の人のところへ 嫁がされるものですから。もちろん例外もあって、お金目当てに平民に嫁がされる方も いらっしゃいますが。  けれどそれはあくまで、相手が頷いたらの話。伯爵様のほうが身分が上である以上、 伯爵様には断る権利があるのです。  しかし伯爵様は婚約破棄されませんでした。  わたくしは正式に伯爵夫人として迎えられました。そうなれば貴族同士の婚姻ですので 当然、わたくしの一番の役目は跡継ぎを産む事になるはずです。  なのに伯爵様はおっしゃったのです。 「君との間に子供を作るつもりはない」  と。  ではわたくしは何故、ここに嫁いできたのでしょうか?  婚礼の後、浴室で侍女たちに磨き上げられたわたくしは今、薄い夜着ひとつを身に まとい、寝台の上で待つよう言われ独り寝室にいます。  この後、旦那様となった伯爵様が入ってこられて本来ならば夫婦の営みが行われる はずなのですが……。  ガチャリと音を立て、伯爵様が入って来られました。その際「ご苦労。下がって良い」 と執事の方に声をかけているのも聞こえました。  寝室の鍵をかける音が聞こえてきます。  わたくしはどんな顔をすれば良いのか分からないまま、寝台の上に座り伯爵様を 見ていました。  伯爵様は、一瞬こちらを見られ、しかしすぐに背を向けられました。そして言ったの です。 「先日も言った通り、君と子供を作る気はない。悪いがひとりで寝てくれたまえ」  そう言って伯爵様は、掛けたばかりの寝室の鍵を開けようとされました。 「待って下さい。逆らうつもりはありません。けれど理由をお聞かせ下さいませんか?」  わたくしは慌てて寝台から下り伯爵様を引き止めました。しかし伯爵様は扉を開け、 そのまま出て行こうとされましたので、わたくしも一緒に部屋の外へ出ようとしました。  そこで伯爵様は何かに気づいたように慌ててわたくしの肩を抱き、寝室へと押し戻し ました。 「なんて格好で外に出ようとしているんだ君は!」  怒ったように言いますが、わたくしだって少しは腹を立てているのです。 「わたくしにだって矜持はあります。このまま貴方が寝室を出ていけば、初夜さえ すっぽかされた醜女として国中の笑い者になるでしょう。わたくしが抱くに値しない 女だとお思いならば、何故妻に迎え入れたのですか」  言ってて悲しくなってきました。泣くつもりなどありませんでしたのに、気がつけば ポロポロと涙が頬をつたっていました。  伯爵様はギョッとしたように目を見開かれましたが、そんなのはどうでも良いのです。 「貴方が子を作らないと言うのなら、それに従います。ええ。妻は夫に従うものですから、 受け入れます。けれど貴方がわたくしの夫ならば、今夜はここにいて下さい。そして 理由をお聞かせ下さい」  興奮し、泣きながら詰め寄るわたくしを見下ろしながら、伯爵様は堪りかねたように 突然わたくしを抱きしめられました。 「え……?」  何故抱きしめられたのかが分からず、わたくしは少しの間呆然としてしまいました。  やがて伯爵様は、ゆっくりと身を離し、おっしゃいました。 「悪かった。確かに今夜私がこの寝室を出て行けば君の名誉に傷がつく。そこに思い 至らなかった」  謝る伯爵様のお声は、本当に申し訳ないと思っているようにも聞こえました。その お顔を見ようと顔を上げますと、伯爵様はすぐにお顔をそむけられました。  わたくしは再び悲しくなり、うつむきました。 「申し訳ございません。醜態をお見せいたしました。けれどどうか、今夜はここで お休み下さい。わたくしの顔など見たくもないようでしたら、わたくしは部屋の隅で 休みますので」  そう告げてわたくしは部屋の隅に移動しようとしました。男爵令嬢として生きてきた わたくしは、柔らかなベッドの上でしか眠った事はありませんでしたが、前世のわたしは ゲームをしながらフローリングで寝こけちゃった事もあるのです。一晩くらいなら おそらく部屋の隅で眠ることも出来るでしょう。  けれどそんなわたくしの腕を掴み、伯爵様は止めました。 「待ちなさい。少し誤解があるようだ。私は君を醜女だなどと思ってはいない」  先程わたくしがうっかり言ってしまった言葉を覚えて下さっていたのですね。もちろん わたくしとて、本当に自分が醜女だなどと思っておりません。けれど。 「それでも伯爵様にとってわたくしは、抱きたいと思えない程お好みから外れて いらっしゃるのでしょう?」  だからわたくしとは子を成す気になれない。  再び涙があふれ出てどうしようもありません。  すると伯爵様は再び、わたくしを抱きしめたのです。 「そうではない。そうではないんだ。君が嫌ならそもそも結婚なんてしていない。けれど 私は子を作るわけにはいかないんだ」  どういうことでしょう? 爵位を持つ貴族ならば、子を成し後を継がせるものですのに。  それでも、わたくしが嫌なわけではないという言葉に少し救われた気がして、 わたくしは彼の身体へ腕を回しました。  それに気づいた伯爵様が更に力を込め、わたくしを抱きしめました。  しばらくしてから伯爵様は身体を離されました。  その温もりが離れてしまったことに少し淋しさを覚えましたけれど、「話をしよう」と おっしゃった伯爵様の言葉に、わたくしは素直に頷きました。  わたくしの事が嫌でないのなら、どうしてわたくしとの間に子を設けたくないのか、 その理由を聞かねばなりません。 「まずその前に、何か羽織ってくれないか?」  顔を背け、伯爵様がおっしゃいます。そのお顔は赤く染まっていました。そしてお顔を 背けていらっしゃるのに、時折チラチラとこちらに目を向けていらっしゃいます。  そこでようやくわたくしは、自分が身体の線が分かる程に薄い夜着しか身に着けて いなかったことを思い出しました。 「分かりましたわ。少しお待ち下さい」  わたくしは自分の頬が火照るのを感じながら、慌ててガウンを取りに行きました。  恥ずかしさももちろん感じていましたが、それよりもあのように顔を赤くされると いう事は、伯爵様は少しはわたくしを女として見ていて下さる。その事がとても嬉しく 思えたのです。

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