知るはずのない、見覚えのある街 1  少女が棗に連れられ部屋を出て行くと、一斉にみんなが透見の方を見た。 「どうしたんだよ、透見」 「透見らしくないよ」  剛毅と園比が心配したように、でも半分怒ったようにそう言ってくる。 「彼女は姫君じゃない」  吐き出すような透見の言葉に戒夜は眉をしかめた。 「……四人が同じ夢を見たと知った時は、確かにそれは予知夢か神の啓示かと思った。だが、それが 必ず当たるとは限らないだろう?」  やはり皆はあれを過去と思わず夢と思っているのだ。  透見は下唇を噛み、俯く。棗に至っては、全く何も覚えていない。 「確かにあの夢はすごくリアリティあったし、特に透見は夢の中で〈唯一の人〉だったからそう 思いたいのは分かるよ」  透見を慰めるように剛毅が言う。  別に自分が〈唯一の人〉である事に執着はなかった。〈救いの姫〉が私の姫君でないのなら、そんな 名は不必要なものだと透見は心の中で呟いた。 「あー、でもそうか。〈救いの姫〉が違う人なら〈唯一の人〉も透見じゃないかもしれないって 事だよね?」  園比が今気づいたといったように声をあげ、にんまりと笑った。  透見は小さく息を吐き、園比を見た。 「園比さんが望むのでしたら、候補に名乗りをあげて下さって結構ですよ。私は彼女の 〈唯一の人〉だとは思っていませんので」  透見の投げやりな反応に戒夜は眉をしかめる。 「園比の言い分は一理あるが、だからと言って透見が〈唯一の人〉じゃないとは言い切れない。 勝手に候補を降りられては困る」 「そうだよ。〈救いの姫〉は夢とは違っても、四人も同じ夢を見てるんだからやっぱり透見が 〈唯一の人〉の第一候補には違いないだろ」  言いながら剛毅はふと、何かを思い出したような顔をして透見を見た。 「そういえば透見、夢の中では〈救いの姫〉の名前、呼んでたよな。それ、ちゃんと覚えてる?」 「もちろんです。私があの人の名を忘れるはずがない」  今でもきちんと胸に刻まれている、愛しい人の名前。 「もしかしてそれが、姫さんの名前なんじゃないの?」  夢で暗示されたその名が、そのまま現在召還されている〈救いの姫〉の名ではないのかと剛毅は 言いたいのだろう。  だけど。 「それはありません」  きっぱり言い切ると、戒夜が厳しい目を透見に向けた。 「何故そう思う?」 「二人が別人だからです。同じ名前である可能性の方が低い」  年齢も違いすぎる。年代によって名前の流行は変わる。愛しい姫君と同じ名を、あの少女が 持っているとは透見は思えなかった。  だけど透見の言葉に剛毅は納得がいかないような顔をしている。だから言い添える。 「……それにもし同じ名前だとしたら、私が〈唯一の人〉として確定してしまうのでは?」  本当は必ずしもそうとは限らない。あの時姫君には二つの名前があった。それにあの時どちらの 名前も大声で呼ばれ、みんなの耳にも入っていた筈だ。  そう思いながらも透見は他のみんながその名を覚えているかどうかが分からず、そう言ってみた。 「え? ダメ。それずるいよ」  園比が慌てたように言う。 「そりゃあの夢の中では透見が選ばれたけどさ。でもそれはあの姫様に選ばれたんであって、実際は 違う姫様だったんだから、僕らにだってチャンスがあって良いはずだよね」  勢い込んで言う園比の言葉に、透見はどこかホッとしていた。  夢か現実かという認識は違えど、園比さんは私の事を私の姫君の〈唯一の人〉だと思ってくれている。  その事がとても、透見を安心させてくれた。  それに園比の慌てようから見て彼は〈救いの姫〉の名を覚えてはいないのだろう。  他の人達も何も言わないということは、記憶が残っていないからだろうか。聞こえていたはずの名が 他の人達には記憶に残らず私にだけ残っているのは私が姫君の〈唯一の人〉だからだと思って 良いのだろうか。 「園比さんの言う通り、〈救いの姫〉は全くの別人だったのですから皆等しく〈唯一の人〉候補だと 考えて良いのではないかと思います。……たぶん、記憶のある者の誰もが可能性があるのだと」  同じ様に姫君と関わっていたのに棗さんに記憶が残らなかったのは〈唯一の人〉候補から 外れていたからだ。  そう思い、透見は納得しようとした。  数ある服の中から、出来るだけスッキリしたデザインの物を少女は選んでみた。だけどいざ袖を 通そうとしたところで気づいてしまった。 「あの、棗さん。サイズ、もう少し小さいの、ないですか?」  自分とそんなに変わらないスタイルの棗が持ってきた服だったから気にせず受け取ってしまった けれど、どうもどの服も少女にはちょっと大きいような気がした。 「え? あ!」  驚いたように棗が受け取った服を広げ、首を傾げた。 「どうしてわたし、こんなサイズばっかり用意してるのかしら……?」  どうも棗が用意していた〈救いの姫〉用の服のサイズは全て同じ、少女にはちょっと大きいもの ばかりだったらしい。  大は小を兼ねると言うから〈救いの姫〉がどんな人か分からないから大きめのサイズを用意して いたのかもしれなけど。でも用意した棗さん自身が不思議がってるのは、なんでだろう?  疑問が残るまま、今はこれしかないからという事で、その少し大きめの服を少女は身につけた。 トップスはまあ、少しぶかぶかでも困らないけど、パンツはさすがにウエストぶかぶかだとズルズル 落ちてきて脱げそうで怖い。  棗もすぐにそれに気づいてくれて、クローゼットの中から幾つかのベルトを出して渡してくれた。 「すみません、本当に。街案内の時にショップで新しい物をご用意しますから、少しの間我慢して 下さいね」  頭を下げる棗に少女は慌てて首を振る。 「ううん。こんな得体の知れない人間に服貸してくれるだけでありがたいですっ」  好みのベルトを受け取りどうにか彼女は身なりを整えた。  着替え終えた少女は棗に連れられ食堂へとやって来た。  そこには園比達が待っていた。 「どうぞ。姫様のお席はこちらです」  棗に案内されたのは、いわゆるお誕生日席。 「あ、ありがとうございます」  ちょっと恥ずかしかったけど、お客様への気遣いを無下に断っちゃいけないだろうと少女は素直に そこに座った。  みんなの視線が一斉に向けられ、ちょっと息苦しい。けど、お客様として扱ってもらってる以上、 お礼を言わなくちゃと少女は立ち上がった。 「あの、服を貸していただいてありがとうございます。それにこんな立派な食事も。わたしに どれだけの事が出来るのか分かりませんが、これからお世話になる分、出来るだけの事はがんばります」  ペコリと頭を下げる。するとパチパチと手を叩く音が聞こえてきた。 「姫様、すごい。やる気満々だね!」  園比が無邪気に笑ってそんな事を言う。けど、やる気満々って程じゃないけど、がんばろうって 思ってるのは本当だった。 「無理に気負う事はないから」  朗らかにそう言ってくれるのは剛毅だ。棗も、ニコニコと笑顔でいてくれる。  そんな三人の笑顔に救われる。やっぱり、不安はあるから。 「そうだな。まずは座って。食事を頂こう」  笑顔こそ無いけれど、戒夜も無理する事はないと言いたげに頷き、そう言ってくれる。  けれど一人、透見だけがわたしを見ようともせず肯定も否定もしない。浮かない顔をしたまま、 それでもそこにいる。 「どうぞ。もしお嫌いなものがありましたら仰って下さいね」  棗に声を掛けられ、少女は我に返った。 「あ、はい。ありがとうございます。いただきます」  少女の言葉が合図のように、みんなも「いただきます」と食事に手をつけ始めた。  食事を始めてしばらくたってから、戒夜が静かに言った。 「姫。この後この街の案内をしようと思うのだが」 「はい」 「誰に案内してほしい?」 「え?」  突然誰がいいかなんて訊かれて戸惑った。まだ誰がどんな人なのか、よく分かっていない。唯一 分かってるのは透見は少女に対して心を閉ざしてるんじゃないかってくらい。 「はいはい。僕りっこうほー。姫様、僕が案内したげるよ」  身を乗り出すように園比が大きく手を挙げ元気そうに言う。そんな園比を戒夜は渋い顔をして 見ている。 「立候補していいんならオレもするよ。ていうか、ここにいる全員そうだと思うけど」  笑いながら剛毅が言う。  でも全員は間違いでしょ。緋川さんはたぶん、わたしに関わりたくない筈。  そう思ってつい、少女は透見の方へと視線をやった。透見は決して少女を見る事なく、俯いたまま 言った。 「私は別の用がありますので案内は皆さんでどうぞ」  やっぱり。  それでもさっきみたいにわたしを睨んだり、案内する気ないってきっぱり言わないって事は、少しは 気を使ってくれているのかもしれない。 「用? 姫を差し置いて何の用事があるというんだ?」  キラリと眼鏡を光らせながら戒夜が透見を問いつめる。それを庇うように園比が割って入った。 「いーじゃん別に。案内しない人はどうせ他の事するんだしさ。透見は別の用事をする。姫様は僕らの 誰かが案内する。問題ないでしょ」  緋川さんの事庇ってるのかな。園比くん、優しい。  透見は無表情なまま顔を上げ、戒夜の方を見た。 「〈救いの姫〉に関係する用事です。記憶喪失との事ですので、召還の手順に不備は無かったのか、 これまでにそういった前例があったのか、記憶を取り戻す為に何か出来る事はあるのか、そういった 事を調べに行くのです」  透見の言葉に戒夜は「なるほど」と頷いた。 「それでは俺も透見を手伝おう。という事で剛毅と園比、それから棗の三人で姫を案内して もらえるか?」  トントンと話が決まり嫌という暇もなくわたし達は出掛ける事になった。あ、別にこの三人が 嫌なわけじゃないけど。わたしが選ぶのかと考え始めてたからあっという間に決まって、拍子抜けした 感じ。  それと同時に、少女はちょっとした違和感を覚えた。最初は、透見は少女に関わりたくないから用が あるって言ったんだと彼女は思っていた。テキトーについた言い訳だと。だけど戒夜に尋ねられ、 スラスラと答えたのを見てたら、本当にそうしようと思ってたんだと思えた。  関わりたくない筈のわたしの記憶を取り戻す為に、どうすれば良いのかを考えてくれている。  直接関わりたくはないけれど、気にはしてくれている。  そんな風におもうと、実は緋川さんって良い人なのかもって少女は思った。

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